第2回セミナーは2月23日、大分市コンパルホールで開催しました。当事者・家族を中心に150人以上が参加。実際に働いている事業所・施設から報告が行われ、「働くことは可能」であり、「企業に理解してもらうこと」が課題であることなどが語られました。
主催者あいさつ - 藤波志郎代表
家族の願いは地域で安心して暮らせるようになること。そのためには就労に踏み出すことが必要。ネットワークは、就労を実現するための“大分モデル”を開発し、情報を届けるための「ガイドブック」を発行し、シンポジウムを開く。1人でも2人でも10人でも仕事に就けるよう一緒にがんばろう。
「会社の力になっている」 - 土居昌弘・土居燃料社長
ボランティア講座に参加したことがきっかけで、保健所から声がかかり職親になった。事務や清掃、片付けなどの仕事を週2回、3時間働いてもらっている。欠勤はなく、仕事のペースは遅いが質はキッチリとしており、会社の力になっている。「本人も土居燃料にいくときは張り切っている」と聞いてうれしかった。課題は、3年間の期限が終わった後、どう一般就労につなげられるかにある。職親制度を生かすことができる地域のシステムをつくることが必要だと思う。また精神障害者に対する社員の理解も重要だが、その相談する先がない。
「心がきれいで手を抜かない」 - 是永恵子・クリスタル温泉支配人
10年前に保健所から話があり職親として受け入れた。最初は週2回から初め、「あいさつは必ずする」ことと「休むときは必ず連絡する」ことだけしっかり守ってもらう。働いてもらって感じたことは、仕事が遅く応用が利かないが、心がきれいでものを大切にするし、絶対手を抜かない。台風の時にも来てくれて感激した。スランプは必ずあり、一度は挫折する。そこからの起き方が問題だと思う。週1回休みまで来てスランプになると、1週間でも2週間でも休ませ、ただ「来る前に電話を」とだけ言っておく。本人は「家にいるのがいいのか、働くのがいいのか」自分で考える。そして出てきたときに「どうだった?」と聞いて、「働いてる方がいい」と言ったら、後は大丈夫。会話も大切にしており、仕事後にはお茶を飲んで雑談し、時々外食に行っている。3年後に仕事を覚えられない人もいるが、社会に出て自立できるようになる人もいる。薬が切れて就労できるよう、病院、保健所、職親、ハローワークなどのネットワークができればと思う。職親は少なく、登録しても働けない人がいるのが現状だ。
「働くことで変わってくる」 - 安部綾子・リフォーム夢舎
12年前、子どものためにあり金はたいて作業所を作った。数年たって職親を依頼され受け入れた。車の運転で危険を感じたこともあったが、続けることで働けるようになってきた。職親はボランティア精神なしではできない。今受け入れている子は人の中に出ることが大変だが、今日は会場に来た。働くことで少しずつ変わってくる。できれば一般就労に結びつけることができるようにしていきたい。
「4年間で5人が一般就労」 - 五島一徳・サニーハウス施設長
「障害を認識し自活できる自分を探す場」を目標に運営している。30人が通所し、平均年齢は46歳、通所率66%、年間売上げが1300万円で、月に2万円位の工賃を出している。これまで4年間で5人が一般就職(パート4人、臨時1人)した。花の栽培と商品加工、スーパー10店への納品と販売、地域のイベント参加などを通じて、人や地域との交流もすすめ、本人・家族も地域の人々もみんなが持っている偏見を少しでも和らげ、就職につなげようとしてきた。ハウスでお祭りを開いたり、農業後継者や商工会青年部と交流したり、自治会活動も重視している。自立支援法への対応は悩みだが、一般就労にむけて、『病院→生活訓練→就労継続支援B型→就労移行支援→農業法人さんさん・一般事業所』という流れを作りたい。さんさんは合同会社とし、トマト栽培、加工生産販売、農産物直販所、市民農園などの事業を行いたい。
「農業“職親”を自立の第一歩に」 - 首藤 勉・首藤エコ農園経営
10年前に発病した長男が5年前に「農業をやってみたい」と言ったのがきっかけで一緒に始めたが、農業は精神障害者にとってなじみやすいと感じている。土や植物が相手でストレスがかからず、精神的に落ち着く。マイペースでできて、体調に合わせられる。自分で作って自分で出荷することで評価を実感でき、やりがいを感じやすい。子どももハウスの一つを自分で担うまでになった。加えて、農地が余っていて、後継者はほとんどいないため土地を確保しやすい。仕事に就けず、家族が支えている人が多くいるのを見て「お役に立てないか」と考えた。今、ハウスが5棟(2棟増設中)と70アールの畑で栽培している。販売先は生協やマルショクなどがあり、野菜を作り出荷作業さえすれば出せる状況で、人手があればと感じる。採算は、これまで設備投資がかかったが、平成20年には黒字になる見込みで、雇用が可能になる。農業の職親を考えているが、3年間では自立できない。受け入れた人を、農業作業所で引き続き受け入れ、自立につなげたい。そのためには支える組織が必要になる。『職親→作業所→支援法人』というプランを考えている。自立の可能性は十分にあるが、ハンディのない人と全く同じ条件ではきびしい。課題として、農業の研修期間5,6年の確保、通勤費補助、販売における補助などが得られればと思う。
報告者の意見交換
・ボランティア精神と企業の採算
三城 職親は誰でもできるものではないのか。ボランティア精神がないとできないのか。
土居 職親制度には若干の補助があるが、経営上は問題がある。「人のお役に立つ」という経営理念と、障がい者と一緒に働くことで「自分たちも向上する」ということで取り組んでいる。
是永 桶一つ洗うのに5分かかったり、強く言うとへこんでしまうこともあり、気配りと声かけが必要なので、皆で支えあう気持ちがないと続かない。ボランティアの気持ちでやっている。
安部 職親は1日2000円の補助が出るが、最低賃金を出すので利益にはならず、ボランティア精神でなければ続かない。仕事は時間がかかるが、「できないから障害」ということをわかって欲しい。
五島 仕事の仕方は一人ひとりそれぞれだと思う。健常者と全く同じレベルで働いている人もいる。花の栽培では、他の農家と同じレベルで競い合いをしている。
・“福祉的就労”と一般就労
土居 職親は、社会体験として「雇用に結びつかなくていい」と言われて受けている。
是永 社会体験と就労の両面の気持ちを持っている。仕事によってはできない人でも、単純労働だったらできる人もいる。保健所で年1回話し合いがあり、その中でネットワークの必要性を言っているが、形になったことがない。
安部 行政は病院から出すと言っているが、入院している人は浦島太郎と同じ。社会体験など様々なフォローと受け皿が必要になるが、それがあるのだろうか。
佐藤(県障害福祉課職親担当) 職親制度は昭和58(1983)年に一般就労に近い人の社会適応訓練として作られた。毎年17〜18人位が利用し、そのうち一般就労は1〜2人。就労移行支援事業とバッティングするが、就労移行の実習によく、一般就労できる事業所が少ないので、一般就労の呼び水にできればと考える。
五島 福祉的就労は一つのステップだと思っている。精神障害の多くの人は発病前にすごい仕事をしているが、そこには帰れない。100が60,70になったときに、一般就労にどう結びつけられるか悩む。最低賃金以下の時給400円、500円で働くことはできないのか。
是永 企業の受け入れを広げるためには、企業主の心と包容力が必要だと思う。本人と企業主の信頼関係ができて、2時間働いてお金をもらい、自分のために使う楽しさ、生きる喜びを感じてもらいたいと願っている。一般就労で最低賃金を保障することには無理があると感じる。
首藤 農業の仕事では最低賃金は出したいと思う。障害者の気持ちがわかる。
・これからの方向は?
土居 多くの経営者は精神障害者が働けること、支える制度や組織があることを知らない。経営者団体などを通して広げることが必要だ。
五島 施設では自立支援法による“日々払い”が厳しい。魅力ある仕事場づくりをしなければと考えている。自立支援法の制度に入るのは先が見えず蛮勇がいるが進めなければならない。
安部 高齢者のシルバー人材センターのような障がい者の人材センターや、企業も含めて就労相談できるような場所ができれば。
三城 長野は積極的に県が関わる、和歌山県紀南では法人が中心になるなど、就労が進んでいる地域には特徴がある。大分は地域で取り組んでいる人たちをネットワークとしてつなげることで就労を進めることが可能になると考える。
会場との意見交換
(河村クリニック) ネットワークの必要性を痛切に感じている。どうにかしたいと思う。
(家族) 作業所で何十年も働いている人がいるが、一般就労に結びつかない。受け入れる事業主がない。何千人もいる精神障がい者に職親は10数社位。事業主の理解が不足していると思う。理解を広げるにはどうすればいいのか。
三城 様々な人が就労に向けてそれぞれの場で活動しているが、それがまだ全体のものになっていない。経験を集めてモデルを作り、全体に広げる戦略を持って取り組むことが必要だ。このネットワークはスタートしたばかりだが、いろんな立場の人が参加している。新たな可能性として全国からも注目されている。誰もが参加でき、就労を進めることができる場にしたい。
司会(別所ハル・理事) 地域で取り組んでいる人と就労を願っている人をつなぐ人が必要と感じた。私自身がそれをしたい気持だ。そのような仕事ができる場を増やしてもらいたいと思った。
(文責・事務局)